世界の終わり 宮崎誉子/リトルモア
生きるってナンダロウ?ナンダロウって疑問はナンダロウ?希望と絶望は紙一重。秘かに、心の中に革命を感じる。「ストーリーノベル大賞」受賞作家の、初小説集。受賞作『世界の終わり』他、全四篇を収録。
「文藝」(2007年春号)に収録されていた宮崎さんの「至極真剣」をつい先頃読んだ。元々気になる作家であったから期待を持って読んだ。読み進むうちになかなか好みな文体であることを感じて高揚しながら読んだものである。これはちょっと追いかけてみようかな、と思わせてくれたもんだから早速デビュー作『世界の終わり』を紐解いた。
「世界の終わり」「マンネリズム」「スモーキン・ピンク」「ライム☆スター」4編の短編集。どれも宮崎さんの独特な文体が楽しませる。特に「世界の終わり」は秀逸。
びゅんびゅん突き進むハイスピードなテンポ、ひたすら流れゆく言葉の羅列、詩的な文体。改行の多い文章に一見読みやすいと思わせるが、これがなかなか手強い。ちょっと油断すると今の誰のセリフだったっけ?とわからなくなる。ボケてるんじゃないの?と突っ込まれそうだが、それはやんわり否定させていただく。
いきなり友人の自殺から始まる。自殺した友人から手紙が届く。たぶん生きている人間全てが陥る生きることへの絶望に取り込まれてしまう。自分を傷つけることで何かが見つかるんだろうか。傷つけた分だけ絶望感は増すばかりなのに。
生きるってナンダロウ?ナンダロウって疑問はナンダロウ?
わからないから死ぬまで探し続けるのかな。
生きるってナンダロウ?本当にナンダロウ?はて?しかし宮崎さんはこう投げかけて読者にはて?と立ち止まらせて考えさせる猶予は与えない。次々と場面が切り替わりストーリーはどんどこ展開していくのだ。それが実に小気味良い。毒気がありそうでさほどでもないという肩すかしはあるがその「さほどでもなさ」があのラストに繋がるのだな、と思うと妙に清々しさを感じて晴れやかな気分になる。とても前向きになる。
好きな言葉が散らばっていて拾い集めるのが楽しい。ところどころで出会う言葉にハッとさせられる。そんな時ついにやりと笑みを浮かべてしまうのだ。例えばコレ。
おいしいお菓子は女を幸せにする。
不味いお菓子は、女を男にして舌うちさせる。
ははぁ〜ん、なるほど。言い得て妙である。
居場所が見つからず職を転々とする主人公達の等身大の姿はしかし暗さを微塵も感じさせない。誰よりも悩み、考え、模索しながらその瞳はちゃんと前を見据えて力強く一歩を踏み出す。ほわんとやわらかなものに包まれるような読後感。それは意外性を持って読者を導く。どこへ連れ去られるのかわからない不安はいつしか取り払われ、著者の巧みなテンポできちんと着地点へ降り立つ。そこに気がついたとき、その計算された構成に惚れ惚れしてしまうのだ。
読了日:2007年2月1日
関連記事
1/26:購入本(『世界の終わり』)
1/27:購入本(「文藝」)
表題作「世界の終わり」で第3回リトルモア・ストリートノベル大賞受賞されたのが1998年。ここに収録されている「世界の終わり」「マンネリズム」「スモーキン・ピンク」は1999年、「ライム☆スター」は2002年に発表されています。それから私が出会った「至極真剣」までの間3冊刊行されていますが、この間の文体の変化も非常に興味あります。というのも「至極真剣」で受けた印象と『世界の終わり』で受ける印象が微妙に違っていたから。もちろん年月を経て文章の雰囲気も変わっていきますよね。そんな変化がどのようになされたのか、今とっても興味があって他の作品を早く紐解きたい!とわくわくしているところです。
『世界の終わり』を読んで「うん、好きだなぁこういうの。」と好印象を持ちました。何となくですが、宮崎作品に毒気やアクの強さを勝手に想像していたのですが、感想にも書いたように毒気がありそうでないというものが、想像と違って新鮮でした。
「世界の終わり」の主人公が好きだという(宮崎さんも?)ミッシェル・ガン・エレファントは聴いたことがないし、「スモーキン・ピンク」の参照マンガ作品となっている岡崎京子さんの『Pink』は読んだことがないしで、完全にこの世界を理解出来ていないかもしれません。それが少し残念でしたがでもきっと影響なく読めます。
もっともっと追いかけていきたい作家さんです。
⇒ ちづ (04/28)
⇒ 苗坊 (02/03)
⇒ かりさ (01/10)
⇒ タコ焼き (01/07)
⇒ かりさ (12/27)
⇒ みこ (12/25)
⇒ かりさ (12/09)
⇒ みこ (12/06)
⇒ みこ (12/05)
⇒ かりさ (12/01)