ひなたでゆるり

読書のコトとちょっぴり日々のコトブログ

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

スポンサードリンク | - | - | - | 

『沈黙/アビシニアン』古川日出男

沈黙/アビシニアン
沈黙/アビシニアン
古川日出男/角川文庫
祖母の家の地下室で見つかった数千枚のレコードと十一冊のノート。記されていたのは、十七世紀アフリカに始まるある楽曲の、壮大な歴史。薫子は、運命に翻弄され世界を巡ったこの楽曲と、それを採取した風変わりな祖先の来歴を辿り始めるが―(「沈黙」)。
キッチンカウンターの向こうの彼女に、ぼくは胸を焦がした。字の読めない彼女のために、ぼくは物語を書き始める。はかなく静かな恋愛小説(「アビシニアン」)。
壮大で深遠な幻想世界。
古川日出男の紡ぐ壮大な世界。その徹底した悪と、どこまでも深い愛と。
そこに並ぶ言葉、文章がピタリと隙間なく肌に寄り添い読み終えてその心地良い疲労感と満足感にしばし浸る。心地良いはずの読後感はしかしその後私を古川ワールドの渦に巻き込む。ゆらゆら浸っているはずだったのに、呑み込まれ、溺れ、息苦しくなる。完全に取り込まれ、抗おうにも脱することが出来ない。さて、この感覚をどう言葉で表現すれば良いのだろうか。それこそ文字を葬ってしまいたくなる衝動に駆られる。だが紡がねば、自分の中で埋め込まれ、しこりとなってそこに居続けるこの読後の感情を表現せねば。そんな衝動に駆られていることも確かなのである。

初めての古川日出男作品はそれはそれは壮大で幻想的で…わかりやすく書けばファンタスティックであった。いや、わかりやすくはないか。それは「ファンタスティック!」と歓喜の声と高潮した顔で叫ぶような興奮したような感覚も含むのだけれども、一方で眉根に皺を寄せ何かをひたすら手繰り寄せるような、作者の言おうとしていることをその奥深くに閉じ込めてしまったものを必死でこじ開けてみせるような、難解さもあって。難解だけれども心地良い、そんな奇妙な感覚こそがファンタスティックなんではないかと。ああ、もうここの胸の奥に洪水のように溢れる言葉を上手くまとめることが出来ない。ぐずぐずしているとどんどんこぼれてしまう。それでも後から後から溢れてくる感情を私はさっきから持て余している。

古川さんの2作目『沈黙』と3作目『アビシニアン』をひとつにまとめた本書。何故2作品を1冊に?あらすじを読んでみればこのそれぞれは話しが全く違うようなのに。だが、『沈黙』を読み、『アビシニアン』を読み始めてふと気がつく。ああ、そうか。そうだったんだ。だったら納得してもいいかも。この流れは確かに自然であるかもしれない。少なくとも私はそう思うけれども。

『沈黙』の入り組んだ複雑な物語、その展開、そして結末、どこにどう放り出されてしまうのか不安を持って読む手に力が入り、汗ばむ。ああ、これ、この調べ。たまらなく好きかも。そんな恍惚とした表情さえ浮かべて(いたかもしれない)私はこれに酔う。
果たしてコーネリアスの行ったことは偉業か罪か。ルコの歴史が壮大に語られる。そして主人公薫子の人生もまたそのルコの歴史に翻弄されてゆく。いや、翻弄されているなどとは自覚してはいなかっただろう。魅せられ惹きつけられその来歴を辿ってゆく。やがて彼女は脈々と受け継がれてきた壮大な歴史の一部分に取り込まれていくようになる。
徹底した悪の物語。壮大さの中にサスペンス要素も加わっていつの間にか読み手も魅せられていく。その結末を見届けたいがために。
薫子が飼う名のない猫のいちいちが愛らしい。寝ぼけた顔のままたたずんで窓のガラス越しにバードウォッチングをする様子などはそこにその姿を見るように細やかな描写でついうっとりとしてしまう。

『アビシニアン』の中の崇高な愛。語り部でなかったはずのぼくが語り部となって彼女に物語を聞かせる。その彼女の歴史は読み手にやがて知らされる。それも唐突に。そこから語られるもの、喪失、再生、全ては愛があるゆえに、愛によって。
「十億年がすぎて、わたしは東横線に乗り込んだ」。
否が応でも引きこまれてしまう冒頭。自らの名を捨て、名のない猫(野生と化したかつては飼い猫であったアビシニアン)と再会し深い森の中で共に生きていく少女の話。
文盲。文字を言葉を葬る。そんな彼女にぼくは自らが紡いだ物語を聞かせる。文字を読めない彼女に。彼女は何度も何度もその物語を聞かせて欲しいと言う。ぼくの声にのせて。彼女の耳に振動する言葉。その物語。ぼくは彼女に胸を焦がす。
そうしてやがて導かれていく物語の終わりに。そこに溢れる愛の形があまりに純粋すぎて揺さぶられた。半端でない振り方で。静かに静かに語られる物語。震えずにはいられないその語りはやはり音を立てずにしんしんと沁みてゆく。それはやがて時間をかけて芳醇な水をたたえてゆく。どこまでも透明に純粋に。けれども官能的に。
ここに存在する静謐な愛。絶対的なもの。これほど惹かれるものはない。ただひたすら美しい。
--------------------------------------------------------------
そうして私はおびただしい数の付箋に配されたこの本を再び開く。行きつ戻りつ。
戻れなくなるのではないかという不安とけれどもそれに勝る喜びを感じながら。

読了日:2007年7月10日


初古川作品でしたが、もう〜良かったです。すごく良かった。豊かな時間を過ごせました。
特に『アビシニアン』はすごく好き。とっても。
ユリイカ」で『沈黙』の前のタイトルが不採用になったとおっしゃっていますけどその元のタイトルが気になりますわー。
そういえば今月の「文藝」(2007年秋季号)は古川日出男特集。読むの楽しみであります。
かりさ | 著者別は行(古川日出男) | comments(0) | trackbacks(0) |