長崎くんの指 東直子/マガジンハウス
気鋭の歌人による初の小説集。不思議な遊園地「コキリコ・ピクニックランド」をめぐる7つの物語。摩訶不思議な小説世界は、あなたの心にしっとりとしみこんでくるはず。
長崎くんとの恋愛小説だとばかり思っていた。長崎くんの指に魅せられた女の子が綴る長崎くんとの甘い物語。そう勝手に想像しぱらりぱらりと読んでいく。そうしているうちにこれが全くの勘違いであったことを思い知る。甘い話しなんかじゃない。妙にリアルで不思議な世界がここでは広がり続ける。時に捩れた世界が、時に残酷な世界が、時にほろ苦さいっぱいになる世界が。
舞台は人寂しい山の中にあるさびれた遊園地「コキリコ・ピクニックランド」。本作はコキリコ・ピクニックランドを舞台にした連作短編集。作者が歌人であるということを納得させられる詩的で感覚的な小説である。私のように普通の恋愛を綴った小説だなんて勘違いして読んだら足元をすくわれる。それはそれで嬉しい勘違いであったのだが。これほどまでに素敵な本だとは正直思わなかったのだから。1編1編を読むにつれてすっかり東ワールドに魅せられてしまったのであるから。
表題作である「長崎くんの指」が突き抜けている。家出した「わたし」がたどり着いたコキリコ・ピクニックランド。そこで出会った長崎くんの指。知的で完璧な指。いっぺんで長崎くんの指に恋した「わたし」。血尿が出るほど多忙な銀行員の生活。そこからあることをしでかして逃亡してきた「わたし」。そんなあくせくとして生きてきた時間からも逃げる。住むところも働く場所もなかった「わたし」の新たな居場所となったさびれた遊園地が彼女のささくれ立った心を解きほぐす。とろりとまどろむ時間。こんな人生もあったのだなぁとしみじみする様子を遠い遠い私の記憶に重ねてみる。
がんじがらめだった時間から開放され、陽の光を浴びひなたの匂いを感じる。さわさわと吹く風を感じてぼんやりする。ゆったり流れる時間を優しく体に脳にまとわりつかせながら、ただただこの流れに身を投じ、少しずつ自分を回復させていった。あの濃密な時間を思い出す。
この長崎くんとの話しが何とも妙で、いきなりどっかへ放り出されてポカンとなったような読後感なのだがこれがまたしっくりくるのだ。
他の短編もリアルでありながら非現実さも隣り合わせている。そのギャップが妙な具合に重ね合わさり不思議な世界を創り上げる。温かくもあり怖さもある。そう、全てが輝かしく眩しい話しばかりではない。ゾッと背筋を凍らせる「横穴式」のような世界も描いてみせる。この多彩な感性がページを繰るたびにシャボン玉になってほわりほわりと飛ぶ。キラキラ陽の光を浴びてふうわりとその形を保ちつつ飛んでゆくものもあれば、パチンと割れて唐突に終わりを遂げるものもある。そのどれもが愛おしい。そんな感覚の小説である。蝶の時間は夜ひらく「バタフライガーデン」、マリアさんと森田さんの穏やかな時間が美しい「アマレット」、道ばたさんのユーモアさが可愛らしくおかしい「道ばたさん」、たったひとりで入ったばかりに…「横穴式」、そして長崎くんの今を綴った「長崎くんの今」。
それぞれがぽっかり空いた空虚感を、寂しさを抱えながらたどり着く「コキリコ・ピクニックランド」。そこは輝かしい楽園でもあり、飲み込まれて帰れない場所でもある。
そしてあとがきにかえて収録されている「夕暮れのひなたの国」が秀逸。はちみつ色の甘く懐かしい味わい。夕暮れのひなたの国に連れて行かれないようおねいさんに施される魔法の儀式。少女に刻印された記憶は決して消えることはない。
さまざまな人間模様を東さんならではの色筆で描く世界。是非あなたも体感されたし。
読了日:2006年9月28日
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