月への梯子 樋口有介/文藝春秋
ボクさんは四十代独身のアパート大家。少しとろいけれど、ご近所や店子の皆に愛されて幸福に暮らしている。ある日、入居者の女が殺された。屋根の修理で梯子に上り、窓から死体を発見したボクさんは地面に落下。病院で目覚めると、アパートの住人全員が失踪していた。やがて彼は、自分を取り巻くものが善意だけではなかったことを知る。ひとは、何を以て幸福になるのか。「知る」ことの哀しみが胸に迫る書き下ろし長篇。渾身のミステリー。
ざわざわとしたものがこびりついて、なかなか剥がれない。ラストの息も止まるような展開にただただ呆然とする。そうしてじんわりと哀しみや辛さが押し寄せてくる。
ボクさんは40過ぎの独身男性。母が遺してくれたアパートの大家をしている。少し知能が遅れているけれども生活に支障はない。アパートの住人も幼なじみも皆親切でとっても優しい。何て幸福な日々。ボクさんは幸運な人間だ。こんな穏やかな日々がゆるゆると優しくボクさんを包む。
そんな毎日を送っていたボクさんにある日衝撃な事件が訪れる。アパート住人が刺殺されていた。ペンキ塗りと屋根の修理のため梯子を上っていたボクさんは偶然それを窓から目撃してしまった。ビックリしたボクさんはそのまま梯子から落下、気がついた時は病院のベッドの上だった…。退院後聞かされた話しに何がなにやら愕然とするボクさん。が、しかし彼にも不思議なことが訪れ始める。
ミステリーっぽくあるが、さほどミステリー色は強くない。謎も難なく解明されていくし、ボクさんの性質もさほどの変化(ある変化はある。それによって物語が大きく展開していく)がないため全体の穏やかさは色褪せない。ただしボクさんのぼんやりとした輪郭が次第に鮮やかな世界に変わるとき、それまでのボクさんが感じていた世界とは一変する。人間の本質をまざまざと見せられる。それまで幸福と思っていた生活が果たして幸福だったのか。本当の姿がそこに見えたとき哀しみと辛さが胸に突き上げてくる。
が、これは読み手の勝手な解釈。ボクさんの心情がはっきりと明かされないため、本当にボクさんがどう感じているのかは想像するしかない。時にその心情が見えなくて不気味に感じる部分もある。その行動に心が見えず冷え冷えとした怖さがある。
そうして後半に向かう時、読み手をさらに混乱に陥れる結末が用意されている。これこそミステリーなのだ。最後の最後に仕掛けられた謎、これは読み手によって解釈が異なるのだろう。私も未だにこれは何?の状態で正直答えは出ていないが、どのような意図があってこういう結末にしたのか非常に気になるところである。
本書は有名な某小説(本書を読めばわかると思います)を思わせる節もあるが、私が思い返していたのは、ジョン・トラボルタ主演の映画「フェノメナン」。主人公の変容も思い起こさせるが、印象的なのは花が登場するシーン。本書も場面ごとに花が彩っているのが印象的だが、「フェノメナン」も花が出てくるとても好きな場面がある。とても大好きなこの映画とダブらせていたために、ラストに差し掛かるまではとても気持ち良く読んでいたのだが…うう〜ん、この読後感をどう形容しよう。だが、これを事実とするならば物語を作り上げている大半は誰もが思いつくものなのであろう。それと片付けるにはあまりにも心深く浸透してしまったボクさんの新たな幸福がそれを否定してならない。ただ、この作品を「またこの話しか…」と思う読者がいたとしたら、それを大きく裏切るある意味作者の思惑が込められているようで、これはこれでしてやったりな感がある。ああ、きっとそれだな完全に作者にはめられたんだな。そう解釈しようか(笑)
それまで輝く世界だったのが、実は薄汚れた色褪せた世界だったことを知ったとき、芳しい香りを漂わせていた大好きな人が、肌に色艶のない一人の中年女に見えたとき、どれほどの哀しみが襲ったことだろう。それでもボクさんはボクさんらしさを失わない。花を愛で、景色の移り変わりを瞳に映す。
本書は「知る」ことの意味を読み手の心に一滴落とし、波紋を広げる。それはいつまでもいつまでも広がり続け静まることはない。
読了日:2006年4月4日
以下はネタばれではありませんが、先入観を与えてしまう部分があります。
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