ひなたでゆるり

読書のコトとちょっぴり日々のコトブログ

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『卒業』重松清

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卒業
重松清/新潮社
ある日突然「僕」を訪ねてきたのは、自殺した親友のひとり娘だった。少女の手首にはリストカットの傷跡が…。表題作ほか、それぞれの「卒業」に臨む4組の家族の物語。
「まゆみのマーチ」「あおげば尊し」「卒業」「追伸」の4編収録。
参った…参ったなぁ。重松作品2作目にして誓った。彼の作品は人前では絶対読めない。たぶん人一倍涙腺の弱い私にはあまりにも酷過ぎるのだ。酷なのだけど、反面胸に静かに優しく沁み渡る…。その静けさと優しさにまた押し寄せる波(涙)に抗えないでいるのだ。

全て読み終えて「卒業」というタイトル文字を撫ぜてみた。色んな卒業がある。そういう意味の卒業だったのか…と改めて思うとまた胸がいっぱいになってくる。4編とも「死」をテーマにしているのだけれどもあまりにもリアルに響いてきて直視するのに苦労した。親の死というものを想像することすら出来ない私にはいずれその時がくるのだ、ということが怖くあり逃げたくなる。でもいずれやってくるのだ、その時が。両親は健在、病気一つせず元気でいる。その姿からはいずれ訪れる時は想像しえないのだ、今は。けれども重松さんは容赦ない。あまりにもストレートに綴っている。だから読んでいて苦しい。苦しいからこそ胸に迫るものの大きさにそれを受け止める力が果たして自分に備わっているのか試されるのだ。

生きることの意味を問いかけながらここまで生きてきた。これからきっと「死」に直面することが増えてくるのだろう。それも生きていく上で避けて通れないこと。今まで考えたことのない親の死というものをしみじみ考えされられた作品だった。

重松清さんの名を知ったのはつい最近。けれども私のこれから読みたい作家には知ってなお入ることはなかった。きっかけがなかったら触れることはなかっただろうと思う。そのきっかけがトラキチさんの「マイベス」。ちょっと読んでみようかな、どうせだったら3冊以上読んで投票したいな、の軽い気持ちで読んでみたのですけど…こんなに深く深く胸を打たれる作品とは思いもしなかった。今まで紐解いてこなかったことを考えるとなんて損をしていたのだろうとしみじみ実感。きっかけを下さったトラキチさんに深く感謝いたします。
これからもっともっと重松さんの作品に触れていこう、そう思います。

読了日:2005年8月11日
かりさ | 著者別さ行(重松清) | comments(6) | trackbacks(2) | 

『流星ワゴン』重松清

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流星ワゴン
重松清/講談社
ひきこもり、暴力をふるう息子。浮気を重ねる妻。会社からはリストラ寸前……死を決意した37歳の僕は、死んだはずの父子が運転する不思議なワゴン車に乗り込んだ。
不思議な話しだった。序盤はただただ辛く痛々しいばかりだったのが、橋本さん親子に出会い、橋本さんの運転する赤ワイン色のオデッセイに乗り込んでから全体を包む優しさと暖かさに満たされていた。決して綺麗ごとでないリアルな家族模様。先に希望の見出せない崩壊した家庭を元に戻すことは可能なのか。すがるような問いかけをしながらその先に待っているものを知りたいがために文字を追い続けました。そして後半それも止め処なく溢れる涙でにじみながらも彼らの行く末を見届けたい一心で読みました。

父と息子の物語です。これほどに私は女であること、母親であることを残念に思ったことはなかったかもしれません。一生父親の気持ち、息子の気持ちは味わうことはないのだから。父と息子の関係って不器用です。傍から見れば幸福そうに見えるその関係も実は修復し難いどうしようもないところにまで来ているかもしれない。そしてその家族関係も…。

5年前、家族ドライブの途中交通事故で亡くなった橋本さん親子。彼らは死にたいと願う者を自分のワゴンに乗せ滑るように夜空の下を行く。幽霊であるはずの橋本さん親子。しかし読んでいるうちに彼らが血の通わない幽霊だなんてことを忘れてしまう。その場所でちゃんと生きている。一見仲の良いこの親子にも抱えるものがあり、少しずつ明らかになっていくにつれ私はもう息苦しくなって読むに耐えられなくなるほどだった。健気さがまた胸に突き刺さって痛くて痛くて切ないというよりもただただ悲しいばかり。でも救われるのだ、彼らに。そして痛々しさに疼く傷も少しずつ治癒されていく。
このワゴンに乗ることになった主人公永田。家庭崩壊、リストラ、そして絶縁状態の父は死を間近にしている。それらを抱えるにはあまりにも心が弱すぎてもう死を望むしかなくなった彼がどう生きる望みを得ることが出来るのか。いやもう絶望に支配されて死に至るのみなのかもしれない。
そしてその父であるチュウさん。彼は何故か現在の63歳ではなく、永田と同じ年の37歳の姿で永田の前に現れる。この奇妙な4人連れの夜のドライブ。

ここでは父と息子の関係が中心になっていますが、一方で夫と妻の夫婦の問題にも触れています。永田の妻・ 美代子…彼女は耐えがたい現実から逃れる手段としてなんとテレクラを選んでしまう。美代子の気持ちは同じ女としてわからなくはないのです。でも時代を反映する描き方と言ってもテレクラは短絡すぎるだろう、と。何かが壊れ始めた時、支えてもらいたい身近な男(夫)の瞳に映る自分を確認した時、そこにあるのが母や妻であり、女を認められなかったら。そして彼女が女を捨てていなかったら。そのまま夫にすがってみせれば良かったのかもしれない。けれどももうそんな関係でもなくなった。夫がダメならば他に求めるしかなかったのだろうか。ここにも問題は山積している。

もう一度あの時あの場所に戻ることが出来たら。ほんの少しでいい、やり直すことが出来たら。今とは違う自分が、環境があったかもしれない…年を重ねるごとにその戻りたい場所が増えていくのかもしれない。もし戻れたら?どう変える?自分だったらいつのどこに戻る?戻りたい時間も場所も、変えたいことも沢山ある。今の自分が間違っているとは思わない。けれどもほんのちょっと方向を変えてみる必要はあったかもしれないと思うことは…少なからず、ある。

今宵も絶望し死しか見えない人を乗せてワゴンはどこかを走っているのかもしれない。その人にとっての大切な場所に連れて行っているのかもしれない。星の瞬く夜空を見ながら思いを馳せた。

読了日:2005年8月10日
かりさ | 著者別さ行(重松清) | comments(6) | trackbacks(6) |