袋小路の男 絲山秋子/講談社
指一本触れないまま、「あなた」を想い続けた12年間。
<現代の純愛小説>と絶讃された表題作、「アーリオ オーリオ」他1篇収録。
注目の新鋭が贈る傑作短篇集。
第30回川端康成文学賞受賞
2編連作の「袋小路の男」「小田切孝の言い分」を読み終えてふぅん…と唸った。これは純愛になるのかな?純愛って一体なんだろう?これをやりだすとずぶずぶと深みにはまりこんでなかなか出てこられなくなってしまうのですけど、それぞれの定義が違うだろうから純愛とはなんぞや、と始めたって意味のないことなのかもしれない。
「袋小路の男」では「わたし」の大谷日向子の視点で描かれる。日向子は1年先輩の「あなた」を思い続けて12年。片思いであるこの思いはどんなことをしても「あなた」に届くことはない。それでも一人の男性を思い続ける。一方的な恋、それでも相手が少しずつ自分を覚えてくれ、会ってくれるようになって…でも「あなた」は「わたし」に触れることはない。
「小田切孝の言い分」ではその「あなた」である小田切の日向子に対する思いが描かれている。片思いであったかのように思えたこの恋、でも実は互いに思い合っていてもう切っても切れない関係になっているんだなぁ、とちょっとほのぼの。
純愛と言われる理由としてこの二人の間に肉体関係がない。だからって純愛?と私は思ってしまうのだ。純愛って簡単に言うけどもっと言葉に出来ないような繊細な部分のことを言うんじゃないだろうか。上手くいえなくてもどかしい。だから最初に書いた「純愛って何?」になってぐるぐるそれこそ袋小路に迷い込んでしまうのだ。
この二人、お互い気になる存在であり、もう離れることなんて出来ないのだろう。でも恋人同士が行う互いの思いの深さを確認する行為には至らない。手も触れない。正確には割り勘のおつりのやりとりで指先が触れた時くらい…体を寄せ合うことがなければ指先が触れただけでもう大事件でしょう。そりゃぁもうときめくに違いありません。まるで思春期の恋みたいなドキドキ感がここにあります。
この不思議な関係、実際自分が体験したとしたらもう辛いだろうなぁ。相手を好きでたまらないのだとしたら。でも男と女が夫婦でない限りずっと側に居続けるということはそういうこと(触れ合わずにいる)なのかもしれない。読み終えた後も悶々とそれについて考え続ける。もっと二人のことを読みたい。ラストは特に好き。
3編目の
「アーリオ オーリオ」。てっきり小田切孝の続きかと思ったら違った。この二人にすっかり慣れてしまった後だったので拍子抜け。でも読んでいくうちにああ、こういう話しもいいなぁとすっかりお気に入り。
松尾哲とその姪・美由の手紙のやり取りがとても良い。静かなる宇宙の営み。その壮大な下に存在する私たち。その抱える問題など宇宙の大きさに比べたら塵ほどにも満たない。ちっぽけな私たちは星の瞬きとその瞬きの何万光年先のことに思いを馳せてみる。悠久なる時空のことを。
読了日:2005年8月14日
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