ひなたでゆるり

読書のコトとちょっぴり日々のコトブログ

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

スポンサードリンク | - | - | - | 

『抱擁』辻原登

抱擁
抱擁
辻原登/新潮社
二・二六事件から間もない、昭和12年の東京。前田侯爵邸の小間使として働くことになった18歳の「わたし」は、5歳の令嬢・緑子の異変に気づく―。歴史の放つ熱と虚構の作り出す謎が濃密に融け合う、至高の物語。

ぼんやりとしたうす靄の中で一滴ポトンと滴を落とし、それがいつまでもいつまでも波紋を広げて静まらない。時間が経つごとにこのお話がもたらす不穏な空気がじわじわと浸食してきて息苦しい。
一体どう解釈したものか。幾通りもの解釈がなされるものだと思うのだけど、これが現実か虚構(妄想)かによっても大きな意味を持って成すのでしょう。
衝撃を持って本を閉じ、表紙の絵と金文字のタイトルを見るとぐっと迫るその意味。
なんとこの作品にふさわしい表紙絵とタイトルなのでしょうか。
ゴシックロマンに溢れ、歴史と虚構が絡み合った濃密な世界にくらくらしてしまいました。

二・二六事件から間もない昭和12年の東京・駒場。前田侯爵邸の小間使いとして奉公する十八の「わたし」。わたしは前田家の下のお嬢さま、5歳の緑子の小間使いとして採用されます。お茶目でいたずら好きでお澄まし屋さんのお人形のように愛らしい緑子。その緑子にすっかり夢中になってしまいます。
けれどもある夜がきっかけで緑子に異変が生じるのです。見えるはずのない何かが見えるらしいのです。それは幽霊なのでしょうか。それとも彼女の妄想なのでしょうか。
折しも戦争にと向かう暗い時代。それを微塵も思わせない「駒場コート」の別空間とも思える世界。「駒塲コート」の外と内が現実か虚構かの分け目とも思えて、この別世界がまさに妄想世界の中にあってここに起きていることは全て夢の中のことなのではないかとさえ錯覚してしまう。

緑子のわたしの前の小間使い、ゆきのの存在が圧倒的です。その存在がいつしか「わたし」の緑子に対する気持ちの変化に大きく関わっていきます。
お会いしたことのない、これからも決して会うことのない(それは希望をしても絶対に叶うはずのない)ゆきのという存在が日増しに強く大きくなっていくのはミセス・バーネットの言うとある現象だからなのか。

ある平穏な時間の流れるお昼前、刺繍をする針の反射する光が蝶のようにひらひら翔び交う描写。わたしのそばでお人形を抱いて椅子に座る緑子の様子。誰かにお人形を見せて笑いかける緑子。全てがゆらゆら実体のない白昼夢の中の出来事のよう。けれども確実に誰かが「いる」と思わせる描写。わたしが決断するまでにもう間もないことが緊迫を持って迫ってきます。
決行の時が近い予感めいた気持ちが昂揚していくさま、それがクーデターを起こした将校たちの思いと重なっていくところは物語がクライマックスに向かってぐっと動き出していきます。この場面からはさらに強い力で物語に引き込まれて読み手も「わたし」の思い、将校たちの思いに絡めとられていくのです。

読んでいてあっと思ったのは、物語のベースがヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』にとても似ているということ。実際辻原さんも『ねじの回転』からインスピレーションを受けて書かれたのだそう。これは是非とも再読したいところ。

ささやきは魔法から解かれる言葉か、さらなる謎に彷徨う言葉か。
「わたし」の静かな語りが儚さと哀しみをたたえます。

読了日:2010年2月6日
かりさ | 著者別た行(その他) | comments(2) | trackbacks(1) | 

『ルチアさん』高楼方子

ルチアさん
ルチアさん
高楼方子・著 出久根育・絵/フレーベル館
もうずいぶん昔のことです。あるところに“たそがれ屋敷”とよばれている一軒の家があり、奥さまと、ふたりの娘と、ふたりのお手伝いさんが暮らしていました。ふたりの少女の家にやってきた、あたらしいお手伝いのルチアさん。ふたりの目にだけ、その姿がぼうっと光りかがやいてうつるそのわけは―謎が時間を超えて継がれていく風変わりなものがたり。

私の可愛いを愛でる気持ちを思いきりこちょこちょしてくれる作品。
もうずいぶんと昔々「たそがれ屋敷」に住む二人の女の子とルチアさんのお話し。
スゥとルゥルゥの好奇心に輝く瞳は、ルチアさんのぴかぴかと同じくらい綺麗で素敵だったに違いありません。
ここでないどこか遠いところを夢見る少女たちの、それぞれの人生を思うとき温かいようなでも泣きたくなるような寂しさが流れ込んできてキュンとしてしまいました。

水色にキラキラ輝く宝石のようにこの本も私にとって宝物のように大切なものになりました。

読了日:2009年10月8日
かりさ | 著者別た行(その他) | comments(2) | trackbacks(1) | 

『湖水地方』寺坂小迪

湖水地方
湖水地方
寺坂小迪/文藝春秋
何が起きていたのか?何が起きなかったのか?美しい姉妹の間に迫る、逃れがたき葛藤。

表題作「湖水地方」ともう1編「シャルル・ド・ゴールの雨女」どちらも背景に水の音がさわさわと滴るよう。
物語はただ静かに波紋を広げるだけでそこに浮かべた舟が大きく揺れるほどの波はないけれど、するりと身を滑らせて水の底に落ちていくかもしれない、その深さは思いのほか深くて暗い穴にひたすら落ちていくような不穏さもありました。

透明感のある文章の裏側で、姉妹の間で起こる感情の蠢きと葛藤。静かな湖面の下でぬらぬらと黒い影がよぎる。
美しくもきりきりとするような物語でした。情景がとても綺麗で心地良い。

読了日:2009年5月30日

かりさ | 著者別た行(その他) | comments(0) | trackbacks(0) | 

『舞い落ちる村』谷崎由依

舞い落ちる村
舞い落ちる村
谷崎由依/文藝春秋
村と街のあいだの計りきれない距離と時間を繊細極まる文で綴った秀作。第104回文學界新人賞受賞作品。受賞第一作「冬待ち」を併録。

どこか幻想的で現実の輪郭が曖昧でふわふわした独特な世界に強烈に惹かれました。
表題作「舞い落ちる村」の数を数えず、名前をつけず、言葉を信じない現実世界から乖離された村の様子はとても妖しげで、そして心地良い。音のない世界のように淡々と静かに単調に綴られるのが非常に魅惑的。
主人公の揺らめきの描きも見事。

「冬待ち」も夢の中のような浮遊感がたまらなくいい。翻訳ものを読んでいるような掴みどころのなさを感じながら、そこに強烈な魅力を憧れを持つ。
ずっと目覚めずここにまどろんでいたい。離れ難いほど好き。

読了日:2009年5月28日

かりさ | 著者別た行(その他) | comments(0) | trackbacks(0) | 

『霊降ろし』田山朔美

霊降ろし
霊降ろし
田山朔美/文藝春秋
降霊術の「振り」をして拝み屋をしていた女子高生・友紀。ある日、ほんとうに霊が降りてきて―。端正な文章で繊細な少女のこころを描いた表題作と第103回文學界新人賞受賞作『裏庭の穴』を併録。
「来るべき作家たち」シリーズ、『いやしい鳥』がとても気に入ってまして2冊目にこの作品を選んでみました。
「裏庭の穴」がかなり好み。普通の主婦の普通の日常を描いたものと読んでいくと、とんでもない穴に落ちます。
じわじわと不安定に歪んでいくさまが凄さを増して一気に読ませます。
気がついたらこんなところに来ていた、っていう感じがたまらない。
表題作「霊降ろし」は主人公の鬱屈し、揺らぐさまに行く先を案じながら読みましたが、差しのべた手をしっかり握ってくれる存在、それによる心の変化が見事で。
これはまた大好きな作家さんが増えましたわ。

読了日:2009年5月19日

かりさ | 著者別た行(その他) | comments(0) | trackbacks(0) | 

『ポトスライムの舟』津村記久子

ポトスライムの舟
ポトスライムの舟
津村記久子/講談社
お金がなくても、思いっきり無理をしなくても、夢は毎日育ててゆける。契約社員ナガセ29歳、彼女の目標は、自分の年収と同じ世界一周旅行の費用を貯めること、総額163万円。第140回芥川賞受賞作。

静かに淡々と日常が描かれているようで、その底には真っ暗な闇が広がっているような不穏さを隠し持っていて彼女らがどうこれからの人生を選択していくのか見守る気持ちで読みました。
ゆらゆらと定まらない不安定さが時に息苦しくもありましたが、決して立ち止まっているだけでなく歩幅は小さくとも確実に明るいほうへ歩みだしているという力強さを感じて頼もしかった。
徹底したリアル感はむしろ清々しいほどで好みでありました。
「十二月の窓辺」が素晴らしい。

読了日:2009年2月17日
かりさ | 著者別た行(その他) | comments(0) | trackbacks(0) | 

『ぽろぽろドール』豊島ミホ

ぽろぽろドール
ぽろぽろドール
豊島ミホ/幻冬舎
美しくも官能的で、残酷なまでの思いを人形に託した人たちの、切なくもまっすぐな物語。

「ぽろぽろドール」「手のひらの中のやわらかな星」「めざめる五月」「サナギのままで」
「きみのいない夜には」「僕が人形と眠るまで」6編の短編集。

装丁の美しさに惹かれる。幻想的なその装丁イラストに引き込まれるように本を開く。みるみるうちにこの官能的な世界に心酔する。うっとりと。恍惚と。
人形愛を理解出来る、あるいは同じく人形に愛を注いでいる人間にとっては共感出来る内容なんではないだろうか。共感しながら自分の中にも渦巻くさまざまな感情を呼び起こし、登場人物たちの気持ちと呼応し合うような。

物言わぬ人形に託す思いの深さはいかばかりだろうか。そこには満たされない気持ちを投影させる寂しさだったり、孤独だったりがある。それがひしひしと切々と伝わるものだから読んでいてとても切なくて、同じく自分にもそうしてしまうような一歩踏み出せば彼らのように人形に思いを寄せてしまうような予感があって、それを抗うというよりもむしろこちらから歩を進めてしまう不思議な魅力がこの作品に感じられた。
これを危ういと感じる人にとってはこの作品はひたすら異質なものなんだろうか。この作品に共感出来ると書けば、あんたは異端者だと思われるだろうか。
異質なもの、異端者、こう呼ばれるのが何だか怖くて人形愛という感情はひっそりと秘められるのかもしれない。

最も私の心を捉えたのは「きみのいない夜には」。
オークションで落札した運命の人形との出会い。元持ち主に愛されていたという証を見て、さらにその人形を愛し運命を感じる。その元持ち主から届く手紙。きっと尋常でないその人形への愛の深さにさらに満足感を得ていっそう愛でる。ああ、この感覚すごくよくわかる。私は人形を着せ替えたり、髪を梳いたりという行為はしないが(いくつかある人形も並べて飾るくらい)、自分が愛するというよりも他人に愛されている人形を見るのが好きというか。その人形が、いかに私は愛されているかをその表情に表し優越感すら感じられる、それを見るのが好き。この作品の主人公のように。
だからあの結末はとても危うい感じがしながらもこういう流れを思い描き、希望していた私にとっては満足のいくものであったのだ。

ふわふわと浮世離れしたような感覚。人形に心を寄せる人間の危うさだったり、痛々しさだったりを官能的・幻想的な世界に彩るさまが秀逸。
耽美、官能、そしてエロチック。そんな雰囲気をまとったとても美しい作品。
かりさ | 著者別た行(その他) | comments(15) | trackbacks(8) | 

『包帯クラブ』天童荒太

4480687319
包帯クラブ
天童荒太/ちくまプリマー新書
これは、戦わないかたちで、自分たちの大切なものを守ることにした、ある小さなクラブの記録であり、途中報告書だ…。いまの社会を生きがたいと感じている若い人たちに語りかける、傷ついた少年少女たちの感動的な物語。

じわじわと沁みわたった。自分にはこんなにもいくつもの傷があったのだろうか。気がつかなかった傷。心に受けた傷は痛いという感覚はない。そしてどれだけの血が流れ、どれだけ深く負ったのかさえもわからない。自分では小さいことだと思っていた傷が実は深く深く抉られているほどの大きなものだったといつかどこかで気づかされることもある。ではどうしたらその傷は癒えるのか。いや、その傷とどう対峙するのか。答えがここにある。

本書を購入するまでにかなりの時間を要した。タイトルに惹かれ、装丁に惹かれ(装丁はクラフト・エヴィング商會だった。どうりで惹かれるはずだ)、1ページ目を開く。ためらった。大人の私が読む本か?もしかしたら相応しい内容でないのかもしれない。そんな今から思えば馬鹿げた思いが頭をもたげ結果また棚に戻す。以来本書を見つけては同じことを繰り返した。しかしとうとうお金を払い自分のものにした。そうしたら積んでおくことはもう出来なかった。すぐに読み始めた。冒頭の「世界の片隅の、ある小さなクラブの記録であり、途中報告書だ。」の途中報告書に疑問を持っていたが読めば分かる。そういうことだったのか、と。そして彼らの結束の強さ、意思の強さに己の弱さ、曖昧さを恥じる。何だ、私も子供の頃最も嫌っていた口先だけの大人に成り下がっていたんじゃないか…思うだけ、言うだけで行動に移せない曖昧な自分が垣間見えた。

本書は「包帯クラブ」という小さなクラブの発足とその当時の彼らのこと、そして彼らの形成したものが、以後大人になってどんな形で活かされていくのか、将来に生きる彼らの姿を報告書として合間合間に差し込ませている。その構成が素晴らしい。ただの感傷的な話しには終わらない効果が得られている。

心に傷を負っても生きていかねばならないとは何と辛いことだろう。その傷と向き合うことはかなりの勇気を要する。
例えば、肉体に傷を負うとしよう。その部位に包帯を巻かれていたとしたらそれを見たらまず労わりの言葉をかけるだろう。それだけ、たったそれだけでも楽になる。痛みや傷もやがて回復に向かうだろう。しかし心に負った傷は人には見えない。自分にだって程度はわからない。これだけの傷を受けたのだ、と言葉にしても伝わりにくい。言葉にも出来ない傷だってある。そうやって封じ込めた傷が増えていくのだ。と、同時にするりと抜け落ちるように大切なものが失われていく。それを戦わずして守ること、子供には子供なりの、大人には大人に出来ることを彼らは実践する。

新書だからと侮るなかれ、タイトルと綺麗なグリーン×アイボリーの装丁に惹かれたならば手にし、読み始めることをおすすめする。自身の傷と向き合うこと、他人に負わせた傷のことも考えさせられる1冊である。そして読み手それぞれの傷の数だけ本は重みを増す。

読了日:2006年3月12日
かりさ | 著者別た行(その他) | comments(36) | trackbacks(16) | 

『13階段』高野和明

13階段
13階段
高野和明/講談社
無実の死刑因を救い出せ。期限は3ヵ月、報酬は1000万円。喧嘩で人を殺し仮釈放中の青年と、犯罪者の矯正に絶望した刑務官。彼らに持ちかけられた仕事は、記憶を失った死刑囚の冤罪を晴らすことだった。最大級の衝撃を放つデッド・リミット型サスペンス!第47回江戸川乱歩賞受賞作。
死刑囚の冤罪を晴らすため動く仮釈放中の青年と、犯罪者の更正に揺らぐ刑務官が奔走する。エンターテインメントでありながら、日本の死刑制度を問う社会的テーマも織り込む作品。

ものすごい戦慄とともに本を閉じました。同時に深い深いため息が知らずに出て、その深さに自分で驚きました。あまりにも提起するものが大きく、自分の中で消化するのに力不足を痛感しました。そういう作品。全体的にはエンターテインメント作品らしくスピード性もあるし、読者を飽きさせない。しかしあぁ、面白かった!と素直に終われないくらいテーマは重く暗い。

執行を待たなくてはならない死刑囚の心理を考えさせられる機会はこれまでにもあったものの、それを執行する刑務官の心理に触れる機会は今までなかった。死刑執行までの過程、その裏側で動くもの、タイトルにもある「13」というキーワードはあまりにも重くのしかかってきます。

10年前に起きた強盗殺人により死刑囚となった樹原亮の冤罪を晴らす仕事―傷害致死罪で2年服役し現在仮釈放中の青年、三上純一と三上が服役していた刑務所の刑務官、南郷正二が動き出す。死刑執行までに樹原を救い出すことが出来るのか。ハラハラしながらしかし、途中二人が抱える問題に唸りながら、その行く先を心配しながらと休む間もなし。そうこうするうちに事は意外な方向へと導かれて…。その実態をほとんど知らない死刑という制度。あまりにも生々しい描写にかえって釘付けになったり、深々と思考の世界に浸ったり。最後の最後まで気が抜けることはなく、きっと読んでいる自分の顔は眉間に皺を寄せていることだろう、と想像する。それでも何箇所かのホッとするような場面が救いになったように感じます。

国が執行する殺人―死刑。何が正しく、何が違うのか。答えは簡単に出るはずもない。本書の迫力に飲み込まれまいと抵抗しながら読み、読後も警報は鳴り止まず…頭の中では目まぐるしく文字が行き交っていてそれらを取り出してみるのだけど、それを手にして呆然と見つめている感覚。しかし、自分の中での認識が変わったことは確かです。

読了日:2002年4月13日
かりさ | 著者別た行(その他) | comments(0) | trackbacks(0) | 

『二十歳の原点』高野悦子

4101183015
二十歳の原点
高野悦子/新潮文庫
独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。
女子大生の心の叫びを綴った日記('69.1.2〜'69.6.22)。 1969年1月2日の二十歳の誕生日から始められています。そして、同年6月24日の鉄道自殺の2日前、6月22日で日記は終わっています。長い詩を最後に。

今回は何度目かの再読です。最初にこの本に出逢ったのは高校生の頃でした。ちょっぴり20代という年齢に憧れを持ち始めた時期でした。誰かに紹介されたのか、どこかで書評を読んだのか、それともたまたま本屋で偶然手にしたのか、出逢いのきっかけがどうであったかは忘れてしまいましたが、夢中で読んだのを覚えています。著者が二十歳で自殺してしまったことへの切なさを想いながら、彼女の思考、苦悶、悲しみ、たまに訪れる歓び、そんなものが当時多感期だったワタシの中で、衝撃的なものとして残ったのでしょう。再読はやはり痛々しい思いでページを繰っていました。彼女はひたすら死を求めていた。孤独に耐えきれなくなり、愛する人への想いをつのらせながらも。当時、学園紛争のさなかにあり、彼女も自らバリケードに入り行動している。そんな活力的な面を見せながらも、本当の内に秘めたものは果たして生きる意味さえも失うほどだったのだろうか。生きることの意味、自分の存在価値、死しても決して得ることが出来るものなどなかろうに、それでも死を選ぶこと。いつもいつも考えさせられます。

読了日:2000年1月11日
かりさ | 著者別た行(その他) | comments(14) | trackbacks(1) |