ラス・マンチャス通信 平山瑞穂/新潮社
頭の足りない無礼なヤンキーが不幸になるのは当然だ。僕のせいではない。でも、なぜか人は僕を遠巻きにする。薄気味悪い虫を見るように…。異形の成長小説。第16回日本ファンタジーノベル大賞大賞受賞作。
一体何なんだこれは。
アレってなんだ?
陸魚ってなんだ?
「僕」は「僕」の家族は一体どこに向かおうとしているか。
異形の生き物。背後にある黒い闇。それを操る人物。一体いつからそれは始まっていたのか。それは一体いつ終わりを迎えるのか。
始めから疑問符だらけの頭の中は、それからも一向に解決はせずさらに混濁した世界へ放り出される。いつここから抜け出せるのか?いや、もういっそこのままここに浮遊し続けてもいいかもしれない。読み進むうちにそんな変な感覚が支配し、いつまでも晴れることのない濃霧の中を漂い続ける心地良ささえ生まれてくるのだ。これはすごい幻想小説である。
まず「アレ」の正体がわからない。アレがどんな生き物なのか、その動作は描かれていてもその象徴の描写は曖昧である。これは読み手が勝手に想像するしかない。その残虐さを持った生き物とは一体どんな姿をし、どんな顔なのか。それは人間なのか。そしてアレが弄んだあげくに殺す、陸魚とは何なのか。その死骸から漂う腐臭が行間から臭ってくるかのような、ぬめりとした不気味な感覚がもう読み手を捕らえ離さない。そこからこの世界へと誘われていくのだ。
アレのことで「僕」は施設へと送られる。そこから僕の人生は狂い始めていたのだろうか。それとも定められた運命だったのか。いつどんなときも常に一緒だった父・母・姉と僕。その家族がどんなに結束を強めようにも(いや、そう思っていたのは僕だけだったのかもしれない。家族は僕に対して冷静な態度をとっていたのだから)バラバラになってしまうのは宿命だったのか。またいつかのように家族一緒に暮らすことは叶うのか。そんなほのかな期待を込めてしまう。やがてその終末を迎える時、その願いは叶ったのか、そうでなかったのか。私は叶ったのだ、と思う。それがどんな形であろうとも。そしてその結末はある意味穏やかささえ感じるのだ。霧は完全に晴れなくても私はこれで納得したのだ。
改めて各章の目次を見てみる。最後まで読んでみて、アレの正体(「畳の兄」の章)がおのずと見えてくる。そうするとそれまで得体の知れない不気味なアレが哀れに見えて切ない感情さえ生まれてくる。そうか、そうだったのか。そうだとしたら全て符合されてくるではないか。これはあくまでも私の想像にすぎないのだからそうとも言えないのだが(アレとかそうとかややこしいよねぇ(笑))。だが読み手にあれこれ想像させる描き方というのはなかなか心憎いではないか。そうしてみると随所に見られる物語の欠落、繋がらない不安定さは作者の意図とすることなのだろう。
そして、表紙カバー。この渋い色合いがまさにこの作品の色を表しており、どこの世界とも知れぬ不思議な背景を描くこのイラストはしかしこの作品のために描かれたものではない。田中達之氏の作品集「CANNABIS WORKS」から使われているものである。この作品のために描かれたイラストであるとばかり思っていたので、良くまぁこれほどこの世界観に合うイラストを見つけたものだなぁ、と感心することしきり。このセピア色に彩られたイラストにも異形な生き物が描かれている。ここに描かれている世界は一体どんな世界なのか。この生き物は何なのか。このイラストからも様々な想像がなされる。
これはファンタジーというより、幻想小説というより、異形小説であろう。僕を取り巻く人間とそこに棲む異形たちの物語でもある。
異形を幻想を愛する私には最高に楽しめて、幸福な時間を得た作品であった。
読了日:2006年6月3日
まずタイトルと表紙イラストに惹かれて図書館から借りてきたこの作品。思った以上に好みの世界観で、もううっとり〜な状態で読んでいました。変な話しや異形な生き物が大好きなひとにはたまらない物語です。決してファンタジーと称されるような綺麗な話しなどではなく、陰湿で残虐さを含んだあまり心地の良いとはいえない物語なのだけど、何故か絡め取られて離れない粘着性がありそれが好きな人には心地良さに変わるのではないかなー。気になっている方は一度足を踏み入れてみてください。はまればズブズブ深いところまではまるはず。平山さんにはまたこんな世界を描いて欲しい。
…はぁぁ、それにしてもまた訳のわからん感想を書いてしまった。毎度すみません…。
⇒ ちづ (04/28)
⇒ 苗坊 (02/03)
⇒ かりさ (01/10)
⇒ タコ焼き (01/07)
⇒ かりさ (12/27)
⇒ みこ (12/25)
⇒ かりさ (12/09)
⇒ みこ (12/06)
⇒ みこ (12/05)
⇒ かりさ (12/01)