デッドエンドの思い出 よしもとばなな/文藝春秋
人の心の中にはどれだけの宝が眠っているのだろうか――。時が流れても忘れ得ぬ、かけがえのない一瞬を鮮やかに描いた傑作短篇集。
このとくとくと規則的に音を立てる鼓動の奥底の深い深いところがきゅぅとなる。喉の奥のほうが締め付けられて息苦しくなる。ああ、これを切ないというのだろう。いつだって切ないという気持ちは泣きたくなるような、でも泣けないような困った顔をさせる。今の私はきっとそんな顔をしているんだろう。そしてこの胸の痛みと同時に、あの頃のあの時のあの辛くてもう立っていられないくらいどうしようもなかった昔の自分を思い出す。ばななさんの作品を読むたびにその頃の自分をさらけ出してしまい、またそのチクンとした痛みを思い出す。幾分かやわらいだ痛みはそれでも完全に消えることはないことを思い知らされる。そうしてその痛みさえ肯定してもいいんだよ、とこの作品は教えてくれる。
あの時の自分があって、今の私がある。これだけ辛い思いをしたのだからこれから先どんなことがあっても切り抜けていける、何の根拠もないその思い。でも辛さや痛みは決して慣れることはない。どんなに小さな痛みも辛さもその時は最大であり、これ以上にないくらいの嘆きなのだ。人間は強いようで弱い。でも弱いようで強い。
ばななさんのあとがきにもあるように、確かに『デッドエンドの思い出』の中の物語はどれもつらく切ない恋がある。けれども私はそんな物語が嫌いではない。ものすごく自虐的な自分に苦笑してしまうが、むしろ過去の自分を引きずり出し、過去に負ったであろうその痛みを思い出し浸る。そして今の幸福な自分を思う。過去の自分があったからこそ今の自分がある。あの時がなければまた違った生活があったのだろう。それはそれでまた幸せな日々なのかもしれない。でも道はひとつしか選べない。突然現れる分岐点を進むのはどれか1本なのだ。その時々の選択が正しいのか、間違っているのか、それは未来の自分が決めることなのだろう。
「幽霊の家」「おかあさーん!」「あったかくなんかない」「ともちゃんの幸せ」「デッドエンドの思い出」…5つの物語はどれも素晴らしく愛おしい。それぞれの中に住む彼ら彼女らが精一杯生きていてそんな姿に温かなものがじわじわと広がった。どんなに不幸でもどんなに理不尽な局面を突きつけられてもそれぞれがそれぞれの形でゆっくりと乗り越えてゆく。どんなに時間はかかってもちゃんと自分の手足でそれをのけていく。
「幽霊の家」
読みながら今私を一番に愛してくれているであろう人のことを思った。その人との営み。一緒の時間をこれからも過ごし、一緒だけれども互いに決して干渉せず絶大の信頼を持って人生を同じ歩幅で歩いていくであろう人のことを。そのひしひしと感じる確固たる愛情にくるんと包まれている安堵感と幸福感がじんわりと沁みてきていた。
自分たちが死んだことに気がつかず、幽霊になってもその営みを繰り返す老夫婦のその姿がとても愛おしかった。そしてその幾重にも重なった流れの先が自分もそうであって欲しいとの願望を込めた。とてもとても好きな作品である。
「おかあさーん!」
生死の境を彷徨った中で得られたものをひしひしと知る。自分の立ち位置に自信が持てずがむしゃらに走ってしまう。もう息が切れてこれ以上ダメで体が精神が悲鳴を上げているのに、自分の発しているSOSなのに気がつかない。
頑張りすぎて体壊して入院して、それでも休むことが不安で仕方なくてちゃんと完治していないのに復帰して…結局入院前の体に戻ることが出来ずに退職することになってしまった愚かな私。時代が許さなかったこともある。忙しいことが勲章みたいな場所でとにかくその場にいない自分を許せなかったこともある。辞めてから吹っ切れたことはこれもまたひとつの財産になったわけだが。
母との仄かな思い出、もしかしたらずっと続けていけたかもしれない幻の家庭。そんなシーンにじぃ〜んときてしまった。本当に人間明日、いや数時間後、数分後に何が起きるかわからない。それはもうどうしようもないことなのだけど、けれども考えずにいられない。
「あったかくなんかない」
もしかしたら一番切ないんではないかな。子供の頃陽の暮れた中ぽつぽつと灯るよその家の明かりを見るのが好きだった。その色は白っぽかったり、乳白色していたり、黄色ぽかったり同系色のモザイクを見るようで楽しかった。あの明かりの中でどんな暮らしがあるんだろう。勝手に想像してみたりもした。
明かりの暖かさをまことくんが考えながら言った言葉。それは何よりも重い。
「ともちゃんの幸せ」
ものすごく残酷。理不尽な仕打ちを受け続けながらも健気に生きるともちゃん。この書き手がまたロマンなのだが、ずっとずっとどこかで見守ってくれている存在。きっとそれを肌でちゃんと感じているんだろう、ともちゃんは。ベルベットのようなその心地良い感じ。実体はなくともそんな温かなものに包まれている感じ。ともちゃんはきっと大丈夫。苦しみ悲しんだ分だけ幸せが訪れる。きっときっと…そう願わずにはいられない。
「デッドエンドの思い出」
これはもう何というか切ないというか痛い。結婚という現実がちゃんと目の前にあって、ふたりできちんきちんと日々を重ねて確固たるものを得ていたはずだったのに、人の心というものはふわんとどっかへ飛んでいってしまうのだ。確かな約束だってそれはいつでも破られてしまう。心が離れてしまったというだけで。もっともっと傷ついたはずで、でもその生々しさは描かず少しずつ立ち直っていくさまを描く。そしてほのかな安らぎ。その安らぎをずっと握っていられるほど現実は上手くいかないけれども。でもこれがあったから帰るべき場所へ帰ることが出来るのだ。
--------------------------------------------------------------------------
読んでいる間中過去の自分を呼び寄せて一緒に読んだような感覚。どんな時だって精一杯生きた自分が愛おしい。切なくて哀しみがいっぱい詰まった作品だけれどもそこにはちゃんと幸せもある。ささやかだけれども、ある。
読了日:2006年9月10日
⇒ ちづ (04/28)
⇒ 苗坊 (02/03)
⇒ かりさ (01/10)
⇒ タコ焼き (01/07)
⇒ かりさ (12/27)
⇒ みこ (12/25)
⇒ かりさ (12/09)
⇒ みこ (12/06)
⇒ みこ (12/05)
⇒ かりさ (12/01)