家守綺譚 梨木香歩/新潮文庫
庭・池・電燈付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・小鬼・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々々出没数多…本書は、百年まえ、天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」=綿貫征四郎と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。
いつになくゆったりした読書時間だった。とかく時間に追われて急くように読書するのが常となってしまった今はその出会った1冊の本と真剣に向き合う時間は限りなく少ないし、また読み終えて思いを巡らせる時間も滅多にないことである。たまに魂抜かれて呆けたようになるような作品に出会うこともあるけれども。時間がない、時間がない、と時計気にして駆け回るそんな日常が当たり前になってしまったことを、果たしてそれは一体どうなのだ?と先程から考えあぐねている。
『家守綺譚』…ここに綴られるものを読むにつれ、何とも不思議で懐かしい感覚が広がってゆく。時は明治時代後半の頃、学士である「私」こと、綿貫征四郎は学生時代に亡くなった親友・高堂の父よりその実家である家の守を頼まれ、越してくることになる。ここからこの著述が始まる。のっけからサルスベリが征四郎に懸想する話しである。サルスベリが人間の男に恋する。このサルスベリ、折りに触れ登場するが、これがまた感情を持ち不思議ではあるが何とも愛らしいのである。読み進んでゆくと河童が出てきたり、小鬼や白竜が登場したり、狸に化かされたり、狸に恩返しされたり、まるで「まんが日本昔ばなし」に出てくるような世界がさも当たり前にあったかのようである。今では見えなくなってしまったもの。でもほんの100年前には当たり前に見えていたもの。「移ろふことは世の常である」こう綴る征四郎の世の行く末についての懸念が、そこはかとない哀しみを帯びて伝わってくる。
サルスベリの件から親友・高堂があちらの世界から時折やってくる。このやってくるさま、迎えるさまが実に自然で良い。
−どうした高堂。逝ってしまったのではなかったのか。
−なに、雨に紛れて漕いできたのだ。
そして「サルスベリのやつが、おまえに懸想をしている」とくるのである。ここで幽霊だのなんのと突っ込んではならない。この二人の飄々としたやり取りがたぶんどんな不思議なことがこの先起きても何ら問題はないのだよ、とでも言うかの如く雰囲気なのだ。それが実に良い。
もう一人お隣に住むおかみさんもまた魅力的な人物である。征四郎よりも生き物たちや気といったものに詳しい。そのやり取りがごくごく自然に交わされる。例えば征四郎が土色が透明を帯びたへろへろと揺れるものを棒の先に引っかけていると、「これはまた見事な。」とおかみさんが言う。「何ですかこれは。」と問うと「河童の抜け殻に決まってます。」と自信満々で応えるのである。またある時は、小鬼を見かけた話しをおかみさんにしてみるとおかみさんは別段驚きもせずこう答える「今日はもう啓蟄ですから」と。こんな会話を読むだけでもうこの世界が不思議でもなんでもなくなる。もしかしたら架空とされる生き物もついこの間、100年ほど前には(これもおかみさんの言葉。なんの違和感もなくこれをスルリと会話にする)、ごく当たり前に生息していたに違いないと信じてしまう。いや、本当にいたのかも知れぬ。
では最後に犬のゴローに登場願おう。彼は絶対にはずせない愛らしいキャラである。ある日征四郎が駅舎を出ようとしたら雪が降っていた。白い世界を作るほどの降りよう。その中をゴローが通りがかる。どうやら散歩の途中らしい。
ゴロー、と呼ぶと、振り返りざま、おおっ、という顔をしてお愛想に尻尾を振って見せた。それから、急ぎの用事がありますんで、とでもいうように、こちらを振り返りつつ、すまなそうに去っていった。
か、かわゆい。このように表現豊かに描いてみせる征四郎(ではないな、梨木さんになるがまぁここは征四郎としておこう)の感性の豊かさにも心地良くするのである。そのゴローは高堂曰く、異形のものたちの世界では有名な仲裁犬らしくあちらこちらに呼ばれて活躍中である。犬にも犬の世界があり、彼も人間にばかり尻尾を振っているほど暇ではないようである。でもちゃぁんとおかみさんや和尚に尻尾振ってお愛想をしてみせる。お利口さんなのだ。大したものなのだ。
四季は一巡し、また巡る。四季の植物を愛で、共に生息する生き物を当たり前に受け入れる。情報に右往左往されることなく流れるままにゆったりゆったり時を過ごす。ここにある世界は日本の四季と共に生きてきた者ならばきっと共感出来るのであろう。それはもう理屈ではなく本能的なもの、潜在するものなのだろう。いつまでも漂っていたいが哀しいかな、そういうわけにはいかないのが現実。だがまたいつでもここに戻ってこれるではないか。ページを開けばまたいつでも訪れることが出来るではないか。だが、しばらく、あともう少し、『家守綺譚』の世界に浸っていよう。
読了日:2006年10月25日
単行本の装丁が素敵なんですよね〜。こんなにも心を奪われた本書を文庫だけでなく単行本も是非手元に置きたいと今所有欲にかられています。
しかし、この作品言葉の宝庫。好きな部分に付箋を貼っていたら付箋だらけになっていました。お気に入りの場面が多いです。ダァリヤの君が出てくる「サザンカ」や「檸檬」もなかなかのお気に入りです。
征四郎の友人として登場する考古学者・村田は『村田エフェンディ滞土録』の村田さんですよね?未読なのでさっぱりなのです。これは是非とも紐解かねばなりません。
素晴らしい世界を堪能させてくれました。これからも時折『家守綺譚』を読み返そうと思っています。
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