魔王 伊坂幸太郎/講談社
「小説の力」を証明する興奮と感動の新文学
不思議な力を身につけた男が大衆を扇動する政治家と対決する「魔王」と、静謐な感動をよぶ「呼吸」。別々の作品ながら対をなし、新しい文学世界を創造した傑作
伊坂さんが「自分が読んだことのない小説が読みたい」との思いで書いた作品。伊坂さんが発したメッセージは読み手に果たして伝わるだろうか。これはたぶん読み手の評価を二分する作品なのだろうなぁ、と読み終えてしみじみ感じた。
雑誌「エソラ」で初めて「魔王」を読んだ後、何が言いたいのか、何を伝えたいのか、それが分からず悶々とした。読み足りないのだろうか、まだ自分には理解できないのだろうか、少し悔しい思いをしていた。しかし刊行されて再度読み返してみてまだ漠然とだけど、伊坂さんの書きたかったものについて理解出来たような気がした(それに刊行順に読むと分かる嬉しいお楽しみが!)。
ふとした拍子にある能力を得た主人公が、ファシズムに傾倒していく流れを危惧し彼なりにその流れを止めようと試みる。"魔王"に立ち向かっていく…。
伊坂さん独特の想像の世界と現世界がマーブル化した不思議な物語を読むにつれ、私も何かに憑かれたように時を忘れ一心に読みふけっていた。
作中の宮沢賢治の詩にハッとする。時折見せる優しさ、力強さに思春期の頃は影響されていたけれども、ある程度年を重ねて再び出会ってみても新鮮さを失っていない。ここでは効果的に描かれているけれど、実際にこんなことがあったら私は嫌だな。ともかくも「魔王」の結末はひたひたと暗黒から忍び寄るような不気味さを漂わせている。
続編の「呼吸」は「魔王」の不気味で攻撃的なものとは反して、温かく穏やかな話し。「魔王」から5年後の世界。果たして世の中はどう変わったか。ここでは弟の恋人(「魔王」では恋人)の視点で描かれる。変わらずほのぼのとしている弟・潤也と彼女・詩織の生活がとってもいい。流れていく世の中に対して躊躇しつつも彼らは彼らなりの生活をしていくしかないのだ。しかし、穏やかでほのぼのとした彼らの生活も変化が訪れているようだ。
『魔王』は政治に対するメッセージに受け取られがちだが、本質的なものはきっと別のところにある。情報過多な世の中、ネットという媒体によりいつでも情報が引き出せ、そのひとつの情報を信じてしまう。たやすく得ることの危機感と、疑いを知らず真に受けてしまう素直な国民性の行く末、流れに逆らえないことを利用されたら…そんな恐ろしさを『魔王』に織り込んでみたのかもしれない(あ、でも考えすぎかも…)。私たちはもっともっと「考え」なければいけない。自分の中で吟味し噛み砕いて結論を出さなければいけない、そんな風に考えてしまった。
魔王、ムッソリーニ、宮沢賢治、死神…さまざまな小道具が見事に配されている本書は文学的な香りを漂わせる。
兄が見た夢、空飛ぶ鳥、それを見つめる弟…何だか悲しいけれど美しくも感じた。晴れた秋空のような清々しさが吹き抜けていく。
読了日:2005年11月24日
前の記事にも書きましたが、『魔王』への伊坂さんのコメントが紹介されています。
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