この本が、世界に存在することに 角田光代/メディアファクトリー
泣きたくなるほどいとおしい、ふつうの人々の“本をめぐる物語”が、あなたをやさしく包みます。心にしみいる九つの短編を収録。
昨日降り積もった雪を全て消し去った陽射しを背に受け、読み始めた。
ほんのちょっと触りだけ読むつもりだった。この1章だけ、これを読み終えたらやらねばならない作業を始めよう。そうして読み終えると次こそは、いや今度こそ…とやっているうちにとうとう止まらなくなり数時間後最後のページに指をやった。窓から差し込む陽射しの温かさと同じ温度で包み込まれているようなそんな読後感だった。
初角田作品である。本にまつわる短編ということで読んでみることにした。始めはエッセイなのか、と思っていたが最初の「旅する本」でそれが勘違いだったことにすぐに気がつく(だってこんな偶然あるわけないもん…ねぇ)。不思議な文体だった。突き放したようなちょっと意地悪な感じを受けながらも離れがたい。そしてそう感じてしまうとどっぷり浸かってみたくなってしまう。不思議な魅力を持った作家さんだと思った。
ひとつひとつの本にまつわる話しがとても良い。「旅する本」はなかなかインパクトある話しでさっき「こんな偶然あるわけない」なんて書いたが、それでもこんなこともしかしたらあるんじゃないか、と思わせてくれたりする。この本の中で好きなのは「ミツザワ書店」。そうそうこんな本屋のすぐそばに住んでいたことがあった。その頃はもう成人していてそこが世界書店と思うような年頃ではなかったが、それでもおよそ新刊を扱う書店とは思えない雑然と積まれた本の間をぬいながらお目当ての本を探して奥のレジに持って行く、わくわくした感じは何年経っても今そこに立っているかのようによみがえる。
私の世界書店といえば昔西武池袋店の8階だったかな?そこにあった書店。子供の頃良く通った。もうずいぶん前にイルムス館に移った現リブロのこと。そしてもう一つが神田神保町の古書店。あの埃っぽい、並べられた本のように色褪せたくすんだ匂い。背表紙を目で追いながら宝探しをするかのような冒険心がむくむくと生まれる感覚。出会ったことのない本に出会えることが何ものにも変え難い楽しみであった。
数年前、東京を離れ遠くの地(現住まい)に住むことが決まった時、一番悲しかったのは神保町に行く機会がもうなくなってしまうのだ、ということ。最大の悲しみである。当たり前のようにあったあの街が今ひどく恋しい。願わくばまたあの街に降り立ちたい。その思いをこの本を読むことにより一層強くしている。
人それぞれ、まして本好きな人ならば色んな本にまつわる経験があるはず。本書を読みながら私の交際履歴(ここで言うのは本との交際)を思い返していた。その時思い返すのは手放してしまった本のこと。大した額にもならないことにがっくりしながら本を売ってしまった罪悪感と喪失感。あの痛手はいつ経験しても慣れることはない。
本はこの身に血が通わなくなるまでそばにあり続けるんだろう。そして死を迎えるまで一体どれくらいの本と出会えるのだろう。そう思うとまだまだ、と思う。もっともっと未知な世界がどこかで待っているはず。そうして私はまた病的に本を選びページを繰り出す。
読了日:2006年1月24日
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