ハゴロモ よしもとばなな/新潮文庫
失恋の痛みと、都会の疲れをいやすべく、ふるさとに舞い戻ったほたる。大きな川の流れるその町で、これまでに失ったもの、忘れていた大切な何かを、彼女は取り戻せるだろうか…。赤いダウンジャケットの青年との出会い。冷えた手をあたためた小さな手袋。人と人との不思議な縁にみちびかれ、次第によみがえる記憶―。ほっこりと、ふわりと言葉にくるまれる魔法のような物語。
思いのほか自分の心が深く深く沈み込んでしまい、それをすくい取る術もなくただ途方に暮れてしまうこと。今ある幸せと感じる時間が永遠に続かないことは本能的に理解している。頭の奥底でそれは常に信号を発している。だがそれに気がつかない、あるいは気がつかないふりをする。その信号に気がついた時、危機は訪れているのかもしれない。足元をすくわれてもう立ち上がれないくらい、一歩を踏み出せないくらい弱りきってしまった自分を再生させるにはどうすれば良いのだろう…。その答えを探るもどかしさは泥沼にはまりこんでずぶずぶとただ沈むのを感じるだけであり、這い上がる気力さえなく。そんな辛い体験を人は少なからず持っているものだろう。
ほたるも長く続いた愛人関係が終わりを告げどれほどか痛めつけられたことだろうか。淡々と描かれているがその痛みの深さ、無気力感は体験したものにはひしひしと感じる。同じく作者も深い痛手を負っていたのだ。ばななさん独特の抽象的な文章が逆にそれを際立たせる。自分の負った痛みと照らし合わせそうしてまたその疼きに身を寄せてしまう。そんなことしてもどうしようもないのに、でも抗えない。昔の痛みを掘り起こして自分の不幸をかざしてみる。痛みを負っただけその感じる痛みにも鈍感になっていく自分。そして相手にも鈍感になってしまう自分。知らずに傷ついて傷つけてその負った傷の深さに呆然とするのだ、結局は。
傷がやがてそれを被い乾いて治癒していくようには心の傷は著しく回復しないけれどもいつかは…と希望を持たせてくれる作品である。バンソウコウになってくれる作品である。弱った自分を上手く表現出来ず、見せられず、他人に頼ることも出来ずにいる人にはもしかしたらふうわりと包み込んでくれる力強さと温かさを感じるかもしれない。作品の端々に優しさと温かさがゆきわたりいつの間にかポカポカ温められていることに気づく。そんなさり気なさが心地良い。一枚纏うことでこんなにも氷結されたものが溶け出すものなのだ。
実はこれを読む少し前、私に向けて何気なく発せられた言葉の強さに傷ついていた。何故優しく言葉を紡げないのだろう。優しい物言いが出来ないのだろう。そんなささいなことにまいってしまった自分の弱さに、情けなくも沈み込んだものを浮上させられず悶々と過ごす羽目になった。脱出方法はこの年になればいくらでも知っている。明るく自分を律することも出来る。だが、そんな気力がなければそれは叶わない。沈んだものを抱えながら日常を過ごすことの困難なこと。これは自然に浮上出来るまで時に任せるしかないのかな、と漠然と思っていた。この『ハゴロモ』で救われた、だなんて大層なことを書くつもりはない。が、少なくとも浮上出来たことは確かである。それはほたるに共感したから、というよりはほたるの姉妹になりそこなった友人・るみちゃんの言葉によるものが大きい。誰よりも孤独の中で生きてきた少女の紡がれる言葉はどこまでも優しい。人の痛みを知っているからこその優しさである。露骨に癒しの言葉を発しているわけではないのにこんなにもするすると流れ込んでくるのは何故だろうか。納得する、という行為そのものを感じる前にどんどん流れ込んで行く。それはどこまでも心地良く、力の抜ける感じ。がんじがらめに縛られたものをするすると解いてくれるような感じ。
特にるみちゃんが話す鳩の雛の話しが好き。ここでるみちゃんはこう締めくくる。
「でも私だって、実のところ、もしもみんなが等しく鳩を愛するだけの世界だとしたら、私はそこに住んで幸せだろうか?っていつでも考えてしまうもの。別の考えに触れたときの感じは、やっぱりいつでも衝撃的で、自分の世界が広がっていく気がするから。」
ストン、と気持ち良くこの言葉が胸に落っこちた。自分と違う意見や考えは自分を否定されるようで、子供の頃は聞く耳を持たない子だったのだが、社会に出て否が応でも自分と違う意見や考えに触れるにつれてその新たな広がり、自分の視野がパッと広がるのを感じるようになった。そうなったら他人の考えは面白いものである。右へ倣えではない考え方。それはいつだって新鮮であり、自分を成長させる。
その鳩の雛を失った男の子は悲しいだろうけれど、るみちゃんのきちんとした誠実なそれに対する説明はきっと男の子を成長させるだろう。そうしたら何だかまたふうわりと包まれる感じがした。
衝撃的な出会いをするみつるくんにもその優しさが端々に描かれる。ほたるとみつるくんの逸話は如何せんファンタジーじみているが(他にもバスターミナルの神様のこととか、みつるくんのお母さんのこととか)それを含めての『ハゴロモ』なのだなぁと自然に納得させられてしまうあたり、ばななさんの文章にすっかり寄り添ってしまったためであろう。
自分を必要としてくれること。無条件に自分を愛してくれる存在。いつでもずっとそれが側にあり続けることは難しいだろうし、それを望むのも図々しいことかもしれないが、そんな確かなものがあればまた生きて行ける。少々大仰過ぎるかもしれないが、ほこほこと心を温めてくれる感覚を味わうことが出来るだろう。
読了日:2006年8月27日
みつるくんの作るインスタントラーメンに思わず涎じゅるる(笑)
やっぱりインスタントラーメンはサッポロ一番よね!なーんて納得しながら読んでました。私が小さい頃インスタントラーメンといったらサッポロ一番のみそ味か醤油味。塩は何故か食べた記憶がないな。母が好きじゃなかったからだろうか。あ、父が好きじゃなかったんだ、きっとそう。でも最近のマイブームは塩味。私のインスタントラーメンはみつるくんと似ていて、乾麺をもやしとベーコンとピーマンと煮込んで、器に移してからコーンとすりゴマと粗挽き黒こしょうをたっぷりかける。すりゴマはちゃんと食べる前にすりすりするのですよ。香りが格別ですもん。いや〜これはうまいのだ。野菜たっぷりラーメン。たまにみそ味とかも美味しいですね。で、で、初めて知ったのだけどミックス!?ミックスってみそと塩を半分こするの?へぇぇぇ〜美味しいのだろうか?今度試してみましょう。
それにしてもばななさんの文章、やわらかくなったなぁと久しぶりに読んで思いました。抽象的なものは変わらずなのですが、何かこうふうわりと漂うようなそれにすっと寄り添いたいような優しさを感じるのです。それはばななさんがお母さんになったからなのでしょうか。そういえば子供が良く出てきます。この『ハゴロモ』にもですが、『アルゼンチンババア』(『ハゴロモ』の前に読んだのですが感想はこの後で)にも可愛らしい男の子が出てきますよねぇ。素敵な子育てをされているんだな、とそういうばななさんのことが垣間見れるようでますます優しい気持ちになるのでした。
お母さんになるって本当に自分を変えますよね。目にするもの、目に映るものが子を産む前とはまるで違った世界で。本当にこれは不思議なこと。こうしてまたばななさんの作品を読むようになって素敵な作品と出会いました。嬉しい、素直に嬉しい。
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