サイコロジカル 上 兎吊木垓輔の戯言殺し
サイコロジカル 下 曳かれ者の小唄
「きみは玖渚友のことが本当は嫌いなんじゃないのかな?」天才工学師・玖渚友のかつての「仲間」、兎吊木垓輔が囚われる謎めいた研究所―堕落三昧斜道卿壱郎研究施設。友に引き連れられ、兎吊木を救出に向かう「ぼく」こと“戯言遣い・いーちゃん”の眼前に広げられる戦慄の“情景”。しかしその「終わり」は、さらなる「始まり」の前触れに過ぎなかった―。
いや〜これは最高に面白かった。何たって兎吊木垓輔である。彼に魅せられてしまったらそれはもうはまりこんだも同然。後はジェットコースター並みのスピードで読めてしまうであろう。
あまりの面白さにその手を止められず、上下巻2冊を1日半で読了。もういーちゃんの哲学めいた戯言だってなんのその。その頭は上巻の終わりからさらにフル回転し始める。その衝撃的なシーンを読んでしまったら後はもうその謎を解明するだけにこの目は文字を追いかけ、脳はあらゆる登場人物への疑心を前提に、ここで作者に騙されてなるものかと多少の意固地を原動力に謎解きに使い、指はただページを繰るだけに機能する。
そう、作者に騙されてはならぬのだ。そして常にそれが頭にあるのならば、過去のシリーズのさまざまな伏線をしっかり覚えているならば、騙されることはなく意外に簡単にその謎は解ける。そして解けてなおその結末が待ち遠しくてならない。あの人の登場を。そして…そして…あの人の登場も。
「きみは玖渚友のことが本当は嫌いなんじゃないのかな?」。破壊王・兎吊木垓輔の言葉が静かに始まる。そう、ここから始まる。その全ての始まりと終わり。そうして終わってまた冒頭へと戻ってみる。なんと見事な連鎖であろうか。
さて、前作でミステリ度が弱まったことから、またタイトルからミステリものとしては終わりを告げてまた新たな趣向が施されるのであろうか、と勝手ながら想像していた。が、もしかしたら今作がミステリとしては一番らしいものだったかもしれない。犯人当てはもう少し派手な演出でも良かったかな、と思えるほど地味で簡単ではあったが、ほとんどがこの辺りでその隠された仕掛けに気がついているであろうからこれはこれでさり気なく描くことが最良なのかな、と納得してみたり。4作目にしてミステリと呼べる作品になったのではないかな、と思えるんである。ただそこに到達するまでがあまりにも助長過ぎて実はミステリなんだよ、と言われても「ほええ?」となりかねない。
さて、今回は2作目で気になっていた鈴無音々が登場。哀川潤ばりの凶暴さではあるが、その説教ぶりが魅せるキャラである。もっといーちゃんをこてんぱんにしてやっちゃってよ!なんてねー、読みながら加勢していたのはご愛嬌。だって、いーちゃんあまりにもキレッぷりが激しすぎる。玖渚友のことになると何故にこうも熱き男になってしまうのか。見境もなくキレるあたりかなり病んでいるし、それが過去にあるのだろうし、その過去を抱えた結果であるのはわかるが、今作もそれはとうとう明かされなかった。うっすらと友に関する情報が開示された程度。一体この二人に何があったのか、いーちゃんは友になにをしてしまったのか、一番の謎がさらに大きくなり解決にはまだまだ程遠い。
他お気に入りのキャラはもちろん兎吊木垓輔であるのは決まっているとして(そう、もう冒頭から決定なの。あの口調と雰囲気。彼の容貌。エロさ全開なとことか(笑)、変態ぶりとか、もう全てにおいて好み。そして美しい顔立ち…嗚呼!)、根尾古新はちょっとツボはまる面白さ。そしてやはり大垣志人であろう。あの一人乗り突っ込みとか、いーちゃんとの掛け合いとか最高である。そのお茶目さの裏には悲しいものが隠されているのだけど。
そして相変わらずふわんふわんしている玖渚友。が、可愛らしいその顔が無邪気さと陽気さを消し去ったうすら笑いに変貌したとき、その恍惚とした顔を思ったとき、彼女の中に巣食うものが垣間見えてうそら寒さを覚える。友の正体は如何に。
「きみは玖渚友のことが本当は嫌いなんじゃないのかな?」
…そして彼の真意は如何に。
読了日
『サイコロジカル(上)-兎吊木垓輔の戯言殺し』2006年9月16日
『サイコロジカル(下)-曳かれ者の小唄』2006年9月17日
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