小鳥たちが見たもの ソーニャ・ハートネット/河出書房新社
両親と別れ、祖母と暮らす少年エイドリアン。街では、行方不明になった子どもたちのニュースが流れている。子ども特有のねじれた感性と、残酷な優しさが向かった予想外の結末とは…。詩的な筆致で描かれたサスペンス小説。
どうする術もなくこの結末を迎えねばならぬこと。ひたひたと押し寄せる予感めいたもの。けれども小鳥たちの見ていたものはもっともっと静謐なその時だったこと。それは音もなくただ静かに訪れる。
始めから漂わせる不安めいたもの。それは払拭されることなくそのままを保って物語は進行していく。忽然と消えてしまった3人の小さな姉弟たち。その不穏なニュースが世間を覆う。サスペンスのような始まりは読み手の好奇心を呼び起こすのに充分な材料であり、いなくなった小さな3人の子供は一体どこへいってしまったのか、想像力逞しい読者のきっと急くような手の動きはしかしエイドリアンの登場ではた、とその動きをゆるめる。
消えてしまった小さな子供たちのニュースは少年エイドリアンの心をじわじわと締め付けていく。そこにポツンと置かれた不安と孤独感が音もなく、けれども確かな速度をもってその小さな点は染みへと広がりゆく。そっと抱きしめてくれる大人が彼には必要なのに。でも彼を養育すべき大人たちは自分のことで手いっぱい。彼に巣食うものに気づかない。それはあまりにも残酷なのだけれども、この作品は静かに静かにエイドリアンの行く道を追いかけていくだけ。読み手もそれを追うだけ。
子供にとっての孤独さはどれほどのものであろうか。いつか捨てられてしまうんじゃないか、孤児院にやられてしまうんじゃないか、そんな不安をずっと抱えたまま。それはあまりにも残酷である。大人にはわからない心の叫び。声無き叫び。劈くような悲痛な叫び。
ではどうすれば良かったのだ。でもどうすることも出来なかったのだ。みながみなその心の葛藤を閉じ込めてしまったのだから。
ゆるやかに導かれていくその結末は一瞬息をのむ。ああ、と小さく一言声に出したままその後を継げない。そうしてラストの美しい詩。ここでまた息をのむ。けれども前者とは全く違う種類の。
その静謐な美しさにはもう言葉はいらない。
悲しくて切ないのだけど、優しくて温かい。そんな不思議な読後感。
「小鳥たちが見たもの」(原題は「OF A BOY」)、読み終えてこの邦題をしんみりと思う。
素晴らしい。ソーニャの描く世界にすっかり夢中になってしまいました。
この静かで美しいラストは思いもよらなかった結末に心痛める読者を慰めるかのような優しさに溢れていて、ちょっと泣きたくなるような複雑な思いでした。
今にも壊れてしまいそうな繊細な少年の心を見事に描き、その細やかな描写に感動すら覚えます。大きく揺さぶられた作品でした。
図書館で借りたものですが、これは是非とも手元に欲しい。装丁ともに美しい本ですもの。
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